榎本 珠希さん
奈良女子大附属中 合格!
私は、小学1年生の終わりからひのき塾に通っていました。初めは個別で、4年生からは集団の授業を受けました。
学年が上がるに連れ、授業の回数が増え、勉強をすることが辛く感じる時がありました。
また、成績が思ったように伸びず、落ち込んだ時もありました。
ですが、先生方が、宿題チェックのあとに、「今日も授業頑張ってくださいね」と毎回声かけをしてくれたことがうれしく日々前向きに取り組むことができ、また同じ奈良教室の人達と「一緒に頑張ろう」と声を掛け合うことで元気付けられ、諦めずに最後まで頑張ることが出来ました。
そして、家族が応援してくれたことや、私のために家の環境を整えてくれたことにも、とても感謝しています。
私が、第一志望に合格することができたのはさまざまな人達のおかげだと思っています。
この体験は、一生忘れません。中学生になっても勉強の楽しさを忘れずに頑張りたいです。
受験前に頂いた手紙もうれしかったです。5年間ありがとうございました。
〈教室担当より〉
入塾してきたころは、ちっちゃくて、いつも「珠希ちゃん、珠希ちゃん」と我が子をかわいがるように呼びかけていましたが、あれから5年が経ち、今ではすっかりたくましくなりましたね。1人の子の成長を見守ることができたことは喜びに堪えません。普段の気遣いできる言動や、周りを見る力、一つの問題を最後までやり遂げる責任感。どれをとっても女子大附中にふさわしい人になりました。ここからが新しい人生の始まりです。受験で得た自信を芯に据えて、新しい自分にチャレンジしましょう。
宮前 咲玖くん
奈良女子大附中、大教大天王寺中 合格!
将来の夢:税理士
私が受験で成功できたのは努力のたまものだと考えています。
私はもともと頭がよかったわけでもなく、受験に対する意識も低かったのです。
塾に通い始めたのは小5の夏からで、周りの人たちよりも遅いスタートでした。
初めての実力テストでは、今見たらひどい結果で悔しかった。そんな私を助けてくれたのは友だちです。
友だちがいたからこそ、負けたくないという思いから、一緒に勉学に励むことができました。
そして、徐々に苦手科目もなくなっていき、小6からは上のクラスで授業を受けることになりました。
実力テストの度に元のクラスに戻るかもしれないとヒヤヒヤすることもありましたが、テストがある度に見直しをして、受験に意識を高めました。
そして念願の女子大、大教大天王寺のW合格を勝ち取りました。受験合格は努力の証だと思います。
たとえ合格ができなかったとしても、自分で全力を出し切ったと思えれば、それで十分だと思います。でも、努力は報われると実感した受験でした。
〈教室担当より〉
彼が書いてくれているように、確かに小5のときは成績もパッとした感じはありませんでした。それが小6で全教科αクラスになると、少しずつ才覚を発揮し始めましたね。1学期はまだまだ粗削りでしたが、夏を過ぎ、2学期になると勉強にぬかりがなくなりました。ミスらしいミスはなく、たとえ間違って、次回には修正してくる。これが意欲のなせる業なのでしょう。今のS君なら天王寺と女子大のW合格もできると思い勧めたところ、見事、期待に応えてくれました。「学習は意欲から」、中学校での活躍も楽しみです。
林 美月さん
大教大天王寺中 合格!
将来の夢:舞台の裏方
私は、元々、だらしないし、飽きっぽいし、やり始めたことがあまり続かないような人間だった。でも、塾に入って月日が経つうちに、「奈良女に行きたい」「奈良女に行ったら、こんなことをしたい」という思いがだんだん強くなっていった。この気持ちが強くなるのと同時に、勉強の時間と密度も上がってきていることを実感した。このことから、
自分の気持ちや心持ちは自分の性格をもくつがえし、行動をも変えることができるということを学んだ。
そうすると、大教大天王寺中の勉強よりも奈良女の勉強の方が増え、模試の結果も、天王寺の偏差値は50を下回ったが、女子大では64にも達した。
それでも、女子の合格者が29人という狭き門となった大教大附属天王寺中に合格した。とても不安だったが、受かった時の嬉しさは大きかった。逆に奈良女は落ちてしまった。悔しかったけれど、なんだか清々しかった。このようなことがあり、私は思った。こんなに意外な結果になるということは、
大教大天王寺中が私を呼んでくれたのだと。
だから、W合格は成し遂げられなかったけれど、呼んでくれたこの学校でがんばっていきたい。
〈教室担当より〉
第一志望への合格はならなかったものの、「清々しい」という言葉で締めくくるれるこの受験は、大成功の受験だったということですね。やれるだけのことを全部やって、最高の状態に仕上げて臨んだ中学受験。結果よりも大切なことは過程であり、それまでの自分では考えられないような地道な日々を積み重ねたことで、「思い残すことはない」という境地に立てたのでしょう。これからの人生をどう彩っていくのか。これから先も、君はきっと大丈夫ですよ!
井戸 心美 さん
奈良女子大附中、大教大天王寺中 合格!
将来の夢:海外に関わる生活をする
私は、小5から、算数のみの受講で入塾した。初めの頃は難しい問題を、時間をかけて解くということに楽しさを感じていたが、小6が近づくにつれて普段の宿題や小テストへの不安が大きくなっていった。実際、第一志望校である女子大のそっくり模試では、算数がなんと1点で、自分にとって衝撃的な結果であった。それからは、とにかく自習時間を増やし、なんとか軌道に乗せることができた。
小6になり、4教科受講になると一つひとつの宿題の負担が大きくなり、自分がやっておきたい勉強と、やらなければいけない勉強との両立が難しくなった。そんな中で、私が特に心掛けていたことは、社会の宿題である「一問一答」を、何があっても毎日やることだ。暗記定着ももちろん大事だが、「一問一答」をやることで、一日の勉強が始まるという生活の支えになった。これが、どんな小さなことでも毎日続けることの大切さを知ることにつながった。また、時間がなくても、
表現社会の宿題である論述は楽しみながらやっていた。
いま自分の身の回りで起きている社会的なことの原因、結果、対策などを調べて文字にすることはとても楽しく、息抜きにもなった。この学習のお陰で、自分の考えを表現する力、社会の現状を論理的に見るスキルが身に付いたと思う。
それまでは、なんとか楽しみながら勉強をしていたが、夏の終わりから秋にかけて、とても苦しいときを過ごした。どんなに勉強しても毎回算数の小テストで不合格になることもあり、駸々堂テストでも解けるはずの問題でつまずき、そのあと頭が真っ白になり、悔しくて不安な日々を過ごした。そんなとき、「誰でもそんな時期はあるよ」と先生に声をかけてもらい、また、
ライバルであり同じ夢をもつ仲間たちの空気感に背中を押してもらった
ことにより、なんとか乗り越えることができた。スランプから抜け出したというよりも、その状況を活かして苦手をハッキリさせたり、自分を見つめ直したりなど、自分の現状を受け入れることで、安定した精神やより強い自分自身を持てたのだと思う。その甲斐あってか、
かつて苦い思いをした女子大模試で1位
を取り、ようやく調子を戻して、以後も維持することができた。
このように良い状態で迎えた女子大入試本番。始まるまでは、とても楽しみだった。しかし、いざ本番が始まって算数の問題を解こうとすると、何かいつもと違う違和感を覚えた。焦って、普段解けるはずの問題も解けなくなっていた。今日のために、今までどんなに努力してきただろう。どんなに苦しんだだろうと考えていると、問題を解きながら涙があふれていた。もう私の入試は終わりだ、そんな絶望感を抱きながらも、次の入試に向けて行動を変えようと念じた。しかし、心はずっと女子大入試への後悔、悲しみであふれていた。
覚悟を決めて見に行った合格発表。やはり私の受験番号はないと思っていたが、間違えて覚えていた番号を探していたことに気づき、もう一度よく見ると、
私の番号があった。あれほどあきらめていただけに、夢なのかと疑うほど驚いた。
まだ実感は湧かないが、今まで目指していた所へたどり着くことができ、本当に嬉しかった。
私が合格をつかむまでの約二年間を振り返ってみると、
学力だけではなく、人としての大切な能力を手に入れた。
共に闘った大切な仲間や支えてくれた家族、先生など、たくさんの人との関りが今の私を形成している。そんなひのき塾での経験が、今後の私を支える柱として生き続けると思う。
〈教室担当より〉
「女子大に行きたい」その一途で情熱的な思いは、君のお姉さんがそうだったように、4年前と全く同じと感じていました。いや、憧れの学校に通っている人がすぐ傍にいるからこそ、期待と不安も一段と大きかったことでしょう。「この子を女子大に合格させなければ…」、4年前と全く同じ思いで、私も君のことを応援していました。君の思いが人の心を動かしていることを覚えておいてもらえると、私も幸せです。
飛鳥小学校 Y・A さん
奈良女子大附中 大教大天王寺中 合格!
将来の夢:キャラクターショーの出演者
私は、3年生の終わりごろ、受験の世界へ足を踏み入れました。最初の動機は「その塾に自動販売機があるから」。そのころは、今こんなことになるなんて思いもしませんでした。
3年生から4年生のころは宿題との戦いでした。まだ、たくさんの宿題についていけず、しばしば、泣きながら解くこともありました。
5年生の頃は、だいぶ塾にも慣れてきて、塾に行くことが楽しくなりました。
一番楽しかったのは勉強合宿です。
たくさん勉強するのはたいへんだったけれど、合間にある花火やご飯などのイベントで元気満タンになりました。たくさんの友だちができ、塾がもっと楽しくなりました。
6年生では様々なことがありました。最初はハードスケジュールになかなか慣れず、授業中、眠気と戦っていました。ですが、時間が経つにつれ少しずつ慣れてきて、眠気にも打ち勝てるようになりました。また、宿題も多くなり、「あ、明日提出なのに全然やってない!」と絶望することも、しばしばありました。そんな中、2度目の勉強合宿がありました。6年生になると「帰れまテン」があります。「はよ帰らせてくれや…」とブツブツ言いながらも何度も練習し、本番では無事帰ることができました。とても嬉しかったです。このことからも
努力は報われるということを実感しました。
勉強合宿の後はテスト三昧でした。そして、テスト三昧の中で、自分の最大の弱点に気づきました。「問題文をよく読まず、決めつけてしまう」というものです。何度も悔しい思いをし、何度も注意されるのですが、なかなか直せず苦労しました。そのミスで、今までに何点も落としました。
それでも12月の終わり、実力テスト総合順位でギリギリ名前がのったことを知りました。これが私にとって何よりもの追い風になりました。目の前に冬の勉強合宿がせまっていたのです。このままいけば、あおの「SSSα(トリプルエスアルファ)」に行けるかもしれないと思い、正月は本気で勉強しました。特に理科。受験がせまっている時期でありながら、「はいにゅう? はい? 何それ?」という状態でした。だから、母に教えてもらいながら、植物について勉強しました。今では植物はそこそこできると言えるくらいまで覚えました。
そして勉強合宿当日。無事にあこがれのクラスに行くことができました。
今での人生で3本の指に入るほどうれしかったです。
でも、次の日の実力テストで、私は絶望のどん底へ突き落とされました。国語はできたんです。算数もまだできたんです。理科はよく読まないことによるミスがありました。社会は時間配分をまちがえ、全然解けなかったんです。そして、焦りから歴史でたくさんミスをしました。大好きな社会で全然点を取れず、本当に悔しかったし、悲しかったです。
しかし、この経験が奈良学園の試験で生きました。実力テストの反省から、歴史、公民、地理の順に解きました。だから時間にも心にも余裕が生まれ、地理の難しい問題をじっくり考えることができました。もし、地理から解いていたら、絶対に時間が無くなっていたと思います。悔しかった経験を生かせられてうれしかったです。
冬合宿は何かと忙しかったです。このころの私は、算数の問題を、印をつけながら解くようになりました。するとミスがグッと減り、先生にほめられることもありました。でも、まだまだ気は抜けません。理科での弱点の多さや、赤本で合格者最低点を超えられなかった悲しさと戦いながら必死に勉強しました。
そうして迎えた女子大本番。表現Ⅰは解ける問題がたくさんあって楽しかったです。しかし、表現Ⅱは思ったよりも難しくてあせりました。面接は楽しんで取り組むことができました。そこから合格発表まではずっとドキドキしていました。落ちているかもしれないという不安が頭を支配していたので、発表当日、
自分の番号を見つけたときあは今までの人生でいちばん嬉しかったです。
そして、毎日、お弁当を作ってくれた母、送り迎えをしてくれた父、たくさん応援してくれた祖父と祖母、辛いときに支えてくれた友だち、勉強だけでなく人間性も育ててくれた先生たちにお礼を言いたいです。ありがとうございました。受験は終わったけれど、これからも勉強は続けていこうと思います。そう思えるのも、私を支えてくれたみんなのおかげです。本当にありがとうございました。
〈教室担当より〉
授業を受けているときのAちゃんの目はいつもランランと輝いています。新しいことを知る喜び、知識と知識が結びついたときの喜び、学ぶことが人生にとってどれほど楽しいことかということを、既に会得しているのだと感じます。君が学ぶことは君だけの喜びではありません。教える側の私たちにも教えることの喜びを与えてくれていますし、周りで学ぶ子たちにも学びの楽しさを伝えています。君の学びの意欲は、世界を幸せの渦に巻き込んでいくでしょう。
椿井小学校 T・Yさん
奈良女子大附中 大教大天王寺中合格!
将来の夢:ジャーナリスト
私がひのき塾に入ったのは小学5年生のときだった。完璧主義の私は、授業のとき、「どうかこの問題は当てないでくれ」、「この問題は絶対に解かないといけない」と自分で自分にプレッシャーを掛けていた。そのせいで、「今日は塾に行きたくない」と泣きながら塾に行ったこともある。しかし、私に何が起こったのかわからなかったが、だんだん授業を楽しむようになった。その思いは強くなっていき、小5の最後の授業のときにはさびしく感じた。そして気が付いた。私は勉強や先生に対する思いが変わったのだと。
6年生になると、
授業が楽しいと思う気持ちが百倍になった。
そして、もっと知りたいと思うようになり、勉強に対する見方の変化があったのだと思う。
夏合宿では、私にとって実力テストが全てだった。だが、結果は思うようにいかなかった。算数と理科が全然できなかった。先生たちが実力テストの解説をするときは泣きそうだった。一人でトイレで泣きたかった。理科の解説のとき、丸付けをしていると、地震の問題をほとんどまちがえていた。そのことについて、北見先生に聞かれた。「地震の問題の練習をしてきたのに、全然できなかった。」そう言いたかった。これはあくまで私の勝手なイメージだが、先生が何かまがまがしいオーラと圧を出していたように見え、うまく話せなかった。その日の夜もなかなか眠れなかったことを覚えている。
合宿から帰ってくると、勉強を死ぬ気でやった。次の実力テストのために、苦手な単元の復習もした。なんとなく、次のテストはいけると思った。しかし、実際には国語がダメダメで偏差値も50だった。私はまた泣きたくなった。今度は本当に泣いた。
塾をやめたい、勉強をやめたい、全部投げ出して海の底に沈みたい、そう思った。
そんな私の心をいつも励ましてくれるものがった。算数のブラックノートとやり直しノートだ。ひのき先生がコメントをいつも書いてくれた。「よくできました。」「がんばれー」「落ち着けば難しい問題もとける」というように、アドバイスやメッセージをくれた。私はこれを見るのが毎週楽しみだった。
この2つのノートは本当に私の宝物だ。
いつの間にか冬合宿がやってきた。合宿では5つのクラスに分かれるのだが、私は一番上のクラスのSSSαクラスに行きたかった。そして、その願いを本当にかなえることができた。普段受けない先生の授業を聞くことができ、楽しく、新鮮だった。そんな私を再び不安な思いでいっぱいにさせたのは、やはり実力テストだった。国語はできたような感覚があったが、算数は分からないものも多くあり、理科はダメダメだということの他になく、社会は時間半分に失敗し…。と、数えきれないほどの失敗があった。夏合宿のときのように、算数と理科の解説の際は、また失望感を隠しきれなかった。そして、その日の夜も眠れず、5時間半しか眠れなかった(私は常に8時間半寝ているので、かなり短い)。それでも、まさか私がもう一度SSSαクラスにいけるなんて。信じられなかった。私は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。しかし、再び悲しみはやってきた。炎の十問テストだ。合格できると信じていたが、ダメだった。しかし、神:橋立先生のおかげで、豆電球のことが腹落ちして理解することができた。
今思えば、あの時再テストになってよかったと心から思った。
私の受験を通しての体験はこんな感じだ。私は受験を通して、一生ものの知識、勉強に対する情熱、楽しさ、家族、そして塾の先生たちのサポート、つまりは愛。確かに、いま挙げたものは形のないものばかりだが、
これらは私の一生の宝物で、少なくとも私の心からは、絶対に、絶対に、絶対に消えないものだ。
私は、心から本当に成長したと思う。前は、他人に感謝をあまりせず、使ったものはそのまんまにし、苦手なことから逃げていた。でも今は違う。檜木先生をはじめ、様々な先生が私にいい影響を与えてくれた。本当に感謝しかない。私を今までずっとずっと見守り、支えてくれた塾の先生や家族のみんな、本当にありがとうございました。この恩は、いつかどこかで返すことができるよう、私はこれからも勉強を続け、精一杯生きていこうと思います。本当にありがとうございました。
〈教室担当より〉
屈託のない笑顔で周りの人たちを幸せにする力を持っているYちゃん。責任感、学習習慣、素直さ、知的好奇心、どれをとっても勉強で伸びる子の特徴です。でも、君の本当の魅力は、人の愛を感じ取れる優しさにあります。人が熱いとき、同じように熱くなり、人が悲しんでいるとき、同じように共感をする。人の愛を感じ取れるから、自然と涙も湧いてくるのです。愛に支えられて勉強を続け、将来は、君のあふれ出る愛を多くの人に注いでください。私からの願いです。
椿井小 U・Sくん
奈良女子大附中、大教大天王寺中 合格!
将来の夢:ロシアバレエ留学
ぼくは、東大寺学園・大教大天王寺・奈良女子大附属を受けました。「東大寺学園を受けたの!?」と思われるかもしれませんが、実質、チャレンジのようなもので、「奇跡」が起きないと合格できないと思っていました。そして、やはり奇跡は起きませんでした(でも、あとの2校には合格しました)。「奇跡以外あり得ないから」という感情が心のどこかにあったのか、今の僕にはわかりません。しかし、あったのだろうと思います。
東大寺学園を後にするとき、こんな感情があふれてきました。「あと少し頑張っていればよかった」と。大人が子どもに勉強させる、よくある理由です。でも、僕の場合は少し違うと思っています。僕の感情は、「予想の五倍は解けた」としてのものです。結局、「あと少し」にたどりつけませんでしたが。僕がひねくれているから、こう思うのかもしれません。しかし、これだけは確実にわかります。「奇跡は、感じているよりもすぐそこにあり、『必然』的にやってくる。」ということです。
「奇跡」は運ではありません。「努力の結果」なのです。
努力はすればするほど、奇跡は起こりやすくなります。ここで重要なのは「努力をすれば『可能性』は残っている。」ということです。ここにきて初めて述べますが、僕は12月まで東大寺学園はE判定でした。しかし、そこから最善をつくしました。それでも、合格最低点から60点足りませんでした。しかし、合計点では188点でした。E判定から188点へと上げたのです。E判定は100点あたりくらいです。これで可能性は25%くらいはあったんじゃないかと思います。
ある先生は、「受験は楽しむもの」とおっしゃっていました。本当にそうだと思います。「僕もまだあり得る」と考えると、ゲームのようにどこまで%を上げることができるか。やる気をなくすと下がり、最善を尽くすと上がる。確実に合格しているといいのですが、そうでなくてもいいんです。楽しめればいい。
「%」は運ではなく、努力の神様による評価です。
努力して合格できなかったのは、見捨てられたのではなく、努力して1%以上可能性が残っている人たちの中から自分に合った道を選んでくれたのです。神様は努力を見ています。いつかは必ず「必然」の「奇跡」は起こります。この受験を通して、僕はそう感じました。あきらめては、ゲームを遊ぶ権利も得られない。だから僕はあきらめるわけにはいかなかったのです。僕にとって、受験は努力の意味を知るものになったのです。
〈教室担当より〉
個性は個々の生き方を尊重することを指すのではない。個性は、個々に潜在する能力を見出し、引き上げ、それらを組み合わせてできる、能力・技術・人格の総体のことである。S君は世の中のことを横からも斜めからも正面からも捉える力があります。それゆえ、S君の言葉は的を射たものが多く、こういう子たちが世の中を引っ張っていくのだろうなと予感させる何かがあります。また、多芸多才で魅力あふれれる個性が彼の持ち味です。そんな君が女子大でどんな色に染まっていくのか。想像すると楽しみが尽きません。
奈良育英グローバル小 N・Sくん
奈良女子大附中 合格!
将来の夢:日・中を仲良くさせる
中学受験。それは、思っていたよりきつかった。「受験はしといた方がええでー」という母さんの一言で始まった中学受験は、最初はそんなにきつくなかったのだが、小6になった途端に
1日4時間の勉強。さらに自習、しかも家は大阪で片道50分。しかし、そんなのはまだ序の口だった。土曜日になると、9時間から20時まで、日曜日は朝からサントレ、夜は自習と、どんどんきつくなっていった。
でも、母さんもがんばっていて、帰り道のセブンイレブンで、アイスなりおでんなりと色々と買ってくれた。
家族全員が応援してくれた。だから、ここまで頑張ってこれた。
そんな生活が続いて1月25日。女子大発表の日。見事に落ちた。きれいに落ちた。
次の日は、普通に塾に行って、次の一条にそなえて勉強した。
そして、28日の水曜日。一条の面接練習が終わり帰ろうとすると、千原先生に呼び止められた。すると先生から思いもよらない言葉が出た。奈良女子大の追加合格だった。いきなりだったが、顔がずっとにやけてしまった。
家に帰ると家族から「おめでとう」の言葉をもらった。僕は「今まで支えてくてありがとう」と感謝の言葉で返した。
本当に本当にうれしかった。今まで体験したことないくらいだった。
こうして僕の中学受験は終わったのです。
〈教室担当より〉
S君は、βクラスからの女子大合格です。毎年、何人か輩出していますが、今年はやはり君でしたか。暗記がやや弱いものの、数字を使った論理的思考力に長け、朴訥とした理系男子そのもの。君のような男子が、毎年、ひのき塾奈良教室から女子大への合格を果たしています。自由な教育を掲げる女子大にピッタリです。これからも尖った存在として、その力を発揮しつつ、満遍なくいろんなことができる力も身につけていきましょう。私たちは、君への応援を続けていきますね。
済美小
F・Mさん
大教大平野中 合格!
将来の夢:書道家
私は小3の後半に入塾した。約3年間、成績は思うように伸びなかった。私は「超」がつくほどの文系だ。算数、理科がいつも足を引っ張っていた。5年のとき、最初は全教科αクラスだった。しかし、最後のテストで国語と算数でβクラスになった。ショックでなかなか立ち直れなかった。
女子大模試の表現Ⅱ。結果は、算数0点、理科21点の合計21点。そのとき、私は受験に落ちるかもと思い始めた。
月日が流れ、受験シーズンとなった。第一志望校の受験は初日だった。
そのときの私は受験をなめていた。
結果は不合格。でも、なぜか悲しくなかった。次は女子大だ。「チャンスはある」と自分を信じてテストを受けた。それでも不合格。とうとうあせり始めた。平野の受験日。
私はとても緊張した。初めてだった。お腹が痛くてたまらなかった。
テストの手応えとしては、また算数で足を引っ張った気がした。不安ながらも1次試験の結果を見た。ログインするとサクラが咲いていた。2次試験はとても緊張した。
得意な社会で満点を取る気で解いた。結果、合格だった。
ここまでこられたのは、私を支えてくれた方々のおかげです。ありがとうございました。
〈教室担当より〉
決して平穏無事な3年間ではなく、山あり谷あり、Мちゃんにとっても保護者様にとってもた心落ち着かない期間であったかと思います。算数に不安あり。それでも、小6の2学期には、それまではとは違う何かを掴んだかのように、算数の問題に向かっていきました。宿題ではない算数プリントも自力でやり上げ、他にプリントはないかと聞いてくるくらい、前向きな気持ちで受験に臨もうとしていました。平野合格は、苦手から逃げなかった君への、神様からプレゼントかもしれません。導かれた学校で花を咲かせましょう。
K・Hさん
合格中学校:一条高校附属中学
将来の夢:保育士
私は4年生の夏ごろからひのき塾に通い始めました。しかし、正直に言うと勉強は面倒だと感じながら、6年生の夏まではダラダラと宿題だけをこなすような毎日を過ごしていました。このときの私は、
「どこかの中学校には受かるだろう」、「最悪、地元の中学校でもいいや」などと、どこかで受験を軽く見ていたと思います。
そんな私の考えが変わったのが、6年生の夏合宿でした。合宿の実力テストでは、理科の結果がとても悪く、クラスも下がり、とても悔しくて泣いてしまいました。そのとき、先生はそんな私の気持ちをしっかり受け止めてくださり、私は改めて、本気で勉強を頑張ろうと思うようになりました。途中、勉強をしんどいと感じるときもありましたが、周りの友だちがコツコツと勉強を頑張っていたため、私もあきらめずに勉強に取り組むことができました。
結果は、第一志望だった奈良女子大に合格することはできなかったけれど、
一条中学から合格通知が届いたとき、飛び跳ねるくらいうれしかったです。
私を受験に本気にさせてくださった先生方、今まで支えてくれた親や友だちには本当に感謝しかありません。
〈教室担当より〉
同じ教室で学ぶ友だちは、友だちの枠を通り越して、良きライバルであり、同じ思いを共有する仲間であり、辛い時にも背中で励まし合える心強い同志でもあります。集団授業の真の価値は、そこにあります。Hちゃんはそのことに気づけたのだから、中学受験という経験は、生涯忘れえぬ経験となったことでしょう。だから、一人の合格は、自分だけの喜びではなく、みんなで喜び合える仲間全体の財産なのです。夏合宿の俳句では、仲間と流した汗について詠んでくれましたね。君の合格は、あの夏に感じた、みんなの汗の結晶なんですよ。
辰市小 H・Eくん
合格中学校:一条高校附属中学校
将来の夢:外交官
私は小学6年生の春にひのき塾に入塾しました。はじめは思っていた以上にうまくいき、算数以外はすべてαクラスからのスタートでした。
これなら志望校も余裕で合格できると思っていました。
しかし、現実はそう甘いものではありませんでした。
テストや模試を受けては、信じられないような(低い)点数を取り、第4志望校ですら一番下の判定でした。
この結果を見て、さすがに危ないと思い、2学期からは夜10時まで自習室にこもって勉強をしました。そ
れでも成績はなかなか伸びず、気づけば残り100日を切ろうとしていました。
私は不安でいっぱいでしたが、そんな私にきっかけを与えてくれたのは、「キリのいい数で何かをしろ」という林先生の一言でした。
それを聞いた私はゲームを絶ちました。すると、成績はゆっくりと伸び始め、1月17日、受験初日にはほぼ完成した状態で桃山に臨むことができました。
しかし、結果は不合格。続く女子大も不合格。さすがに自信を失いかけていた一条中学受験の前日、再び、林先生に「がんばれ!」と言われ、私はなんだかいけそうな気がしました。そして、2月5日、無事合格することができました。
私は頭が良かったわけではありません。偏差値も30代後半でした。だけど、合格できました。それは、努力をしてきたからだと思います。この経験を活かして、これからも、できないこと、苦手なことにもチャレンジしていこうと思います。
〔教室担当より〕
自分の人生を切り拓こうとひのき塾にやってきたE君。小さな小学校でこのまま何もせずに中学校に上がることに不安を感じ、自ら中学受験の扉を叩きにきました。そこは今までに見たことのない苦難の道。立ち止まると扉の前に戻されそうになる。歩を前に進め続け、数㎝ずつゴールに近づく、自分との戦いの道。それでも君はひるむことなく、「絶対に合格(うか)ってきます!」と強気発言を崩しませんでしたね。自分の人生を自分で決め、自分の力で切り拓いた君の受験が、君の将来を大きく動かしたことは間違いありません。賢いから合格できるのではない。逃げなかったから合格したのです。
奈良女子大附小 T・Hさん
合格中学校:奈良女子大附中
将来の夢:尊敬される人になること
私は4年生の時にひのき塾に入りました。最初は算数が得意でしたが、6年生に上がるころにはどれも苦手になっていました。
そこで、北見先生の柔軟性をきたえるプリントを何度も解き、夏には上のクラスにあがることができました。
それからは、檜木先生の熱血授業や他の先生方の丁寧な指導により、受検が近づくにつれて成績も上がり、自信がついてきました。
私は、受検を通して、大きな目標を叶えるためには小さな目標を自分の中につくり、少しずつ実現していくことが大切だと感じました。
そうすることで達成感が生まれ、解けることの嬉しさを感じられます。
これから中学生になりますが、この受検は一生忘れられない思い出になりました。
また、指導してくださった先生方、お弁当・送迎をしてくれた家族にはとても感謝しています。ありがとうございました。
〈教室担当より〉
授業が終わった後も自習室にこもり、算数の問題を黙々と解き続ける習慣を、受験まで崩すことのなかったHちゃん。最後の方では、土曜日に8時間以上も自習をしていましたね。わからない問題にもじっと向き合い、何度も何度も解き直し、最後は必ず政界へと辿り着く。その粘り強さが君の持ち味です。完ぺきなまでの宿題と美しいノートも印象的でした。3年前、君の姉のAちゃんが女子大に合格したとき、私は自然と涙がこぼれました。いま、姉妹そろって同じ学校で学べることを嬉しく思います。二人に幸あれ。
大宮小 T・Kさん
合格中学校:一条高校附属中学校
将来の夢:アイドル
5年生のときから通い始めて早2年が経った。はじめのほうは塾に行く回数も少なく、自習にもあまり行かなかった。
でも、6年生になり、授業が空いている日も自習に行くようになった。そして、9時や10時まで残った。
6年生の後半になると、赤本に追われる毎日のくり返しであった。でも、赤本をやることによって、自分が今どんな状況にいるのかがよくわかった。11月や12月の模試では、女子大も一条も64%だった。ギリギリのラインくらいだったと思う。
そうして迎えた受験シーズン。最初は奈良学園登美ヶ丘を受けた。しかし、合格最低点まであと8点というところで不合格だった。
あと少しの努力が足りなかったのだと思うと、すごく悔しかった。
次は奈良女子大附属中学を受けた。表現Ⅰは楽しいと思えたが、表現Ⅱは空らんが多くなってしまった。合格発表の日、掲示板を見たが、そこに私の番号はなかった。帰り道には、合格した子たちがニコニコと帰っているのを見ると、とてもうらやましかった。
でも、「本命は一条だ」という気持ちを心に抱き、あと八日間はがんばろうと思った。
試験当日、ひのき先生たちに応援のメッセージをもらって試験にのぞんだ。
時間配分を上手にできなかったから、抜き出しの文を最後まで書けなかった。そして、検査Ⅱもやり直してみたら、間違えているところが多く、少し不安になった。
そこから五日後、合格発表の日。サイトを見るとなんと合格していた。とてもおどろいた。そして、うれしかった。
これからの中学校生活は身近にいる人ともっと仲良くして、楽しい思い出をつくりたい。そして、夢をかなえられるよう、部活も一生懸命がんばりたい。
〈教室担当より〉
「将来の夢は何?」と質問すると、「学校の先生かアイドルか悩んでる」と返してきたKちゃん。私はすかさず「アイドルやん」と言いました。そんな体験、普通ではできないことで、「元アイドルの先生」ってレアですよね。Kちゃんがアイドルデビューしたら、私がファンクラブ第1号になると約束しました。かわいくて、知性があって、元アイドルで… 君なら、そんな素敵な先生になれますよ。子どもたちの夢は未来に向けての宝物。いろんな夢を抱いて、一つでも二つでも叶えていって、君がおおきくなったとき、また次世代を担う子どもたちに自分の夢をかたってあげてください。
佐保小 F・Kさん
合格中学校:一条高校附属中学校
将来の夢:インテリアコーディネーター
受験のための生活というものは、当時小学5年生の私が考えていたものとは全く違うものでした。
塾は夜10時に終わるは、そのためお風呂にゆっくり入る時間はないはで、当時の私にとってはストレスでしかなかったのかもしれません。
6年生の半ば頃、私はそのストレスを解消すべく、いい方法を思いつきました。それは
私が第一志望の学校に合格して、泣いて喜ぶ母の顔を想像するということでした。
もちろん、自分自身が頑張らなければ、その想像は想像のまま終わってしまいます。だから、私はその想像を勉強へのモチベーションにまで上げていき、ストレスなど忘れて勉強をしました。そして、第一志望校受験の2週間前には、赤本にかなりの手応えを覚えるようになりました。
受験当日。
私は右手と右足が同時に出るくらい緊張していました。
そのときに応援してくれたのがひのき塾の先生方でした。先生からもらったカイロがいつもより温かく感じられました。私は試験を楽しめ、笑顔で門から出ることができました。
試験を楽しめたのも、第一志望校に合格できたのも、ここまであきらめなかったのも、全部、全部、ひのき塾の先生方のおかげです。感謝してもしきれないくらい、私の心は「ありがとう」という思いでいっぱいで、とても温かく感じています。これからも未来にかがやけるような生徒たちをたくさん送り出してください。
ありがとうございました。
〈教室担当より〉
「合格は自分一人のものもではないよ。君たち以上に嬉しいのは、そばで支えてくれた保護者さんやで。」この言葉を君たちに何度も投げかけましたね。その度にKちゃんは、首を大きく縦に振って頷いていました。その理由が今ようやくわかりました。君のお母さん、お父さんは、君が心地よく学習に専念できるよう、いつも気を配っていらっしゃいましたね。君が親の愛を日々感じているのも当然のことです。受験も終わりました。愛猫とまったりした時間を過ごしてくださいね。
























